太陽からの距離とハーロックとの関係
ヴォータンによりクリスタルの棺に封じ込められたワルキューレを助けるため惑星ラインに向かうデスシャドウ号、そこにはヴォータンの手の者が待ち構えていた。※声はOVA版のもの。1999年にバンダイビジュアルより第一部が全6巻のOVA『ハーロック・サーガ ニーベルングの指環』としてリリース。富山敬の死後、トチローを演じてきた山寺宏一はハーロックとの2役。第二部以降は製作されていない。 BGMにはワーグナーの楽曲がふんだんに使用されている。
日本漫画家協会著作権部責任者やコンピュータソフトウェア著作権協会理事などの役職を持つ立場にあることもあって、著作権に対し敏感な面があり、過去に著作権関連のシンポジウムで「孫子の時代まで自分の著作権を守りたいというのが心情だ」と述べたこともあるほか、自らが過去に漫画の中で使用した台詞等の表現を『創作造語』と称し、それに似た表現を他者が無断で使うことに否定的な見解を示している[4]。松本が著作権に強硬なのは、自分の預かり知らぬところで、第三者によって自分の創作が意図に反した使われ方をされるのが我慢できないからだという。しかし訴訟をする方法論を選択する事は、訴えられた側から損害賠償を起こす引き金になっている。時には自身の権利を自己流に解釈し、マスコミを利用して正当性をアピールする事もあり、それにより第三者は名誉毀損や損害を蒙る事もある。松本は、『宇宙戦艦ヤマト』や戦場ものなどを描いており、戦没者や民族感情には敏感であり、2002年には自らが原作のテレビアニメ『SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK』がダビデの星を敵のデザインに使ったことから、ユダヤ人感情に配慮して一時製作中止にさせたこともあった。権利関係に非常にシビアである印象を持たれるが、作家に対する敬意があり、無断で使うのでなければ他の漫画家やミュージックビデオ[5]、広告等に自作のキャラクターを使うことには比較的寛大で、過去に何度か例がある。自作を笑いのネタにしたパロディ的な引用にも、むしろ松本自身が面白がって快く許諾する傾向にある。松本はフットワーク出版の『宇宙戦艦ヤマト伝説』で、『スター・ウォーズ』の企画書のレイア姫の初期設定は『宇宙海賊キャプテンハーロック』の有紀蛍と類似しており、同作品の初期企画に自作が影響を与えたと発言しているが、松本が「自身の作品の影響を受けた」とする作品の中には、本当に影響を受けたものかどうか不明なものも含まれている。
雪の晩、999号の駅のある地球の大都市・メガロポリスに向かう途上、母は機械伯爵に人間狩りの対象として撃ち殺された上に、その亡骸を持ち去られて剥製にされてしまう[4]。鉄郎は母の仇討ちと、彼女の意志を継ぎ自ら「機械の体を無料でくれる星」に赴いて機械の体を手に入れることを誓う。漫画及びTV版では母の死後行き倒れたところをメーテルに助けられ、彼女から999のパスを貰い、共に銀河超特急999で旅をすることとなる。そして999で旅立つ前に機械伯爵の屋敷に赴き、母の仇討ちを遂げる。劇場版1作目ではそれから数年後、メガロポリスのスラム街で成長した後の姿で登場。発券機で定期券を購入したばかりの機械化人のカップルから仲間と共に定期券を奪ったものの、機械ポリスの追求から逃れる最中にそれを落としてしまう。その途中で出会ったメーテルから999の定期券を貰って彼女と共に999で旅をすることとなり、999の停車駅・惑星ヘビーメルダーに現れた機械伯爵の居城、時間城に赴いて仇討ちを遂げる。当初は母の遺志であった「機械の体を無料でくれる星に行って、機械の体を手に入れる」という目的に固執していたが、道中の様々な星での出会いと別れ、冒険といってもいい様な様々な体験を経て限りある命の尊さを認識する事となり、当初は鉄の様に固かった信念は揺らいでいく。そして終着駅で、選択を迫られた時に−劇場版第1作では「機械化される」というだけで選択の余地はなかったものの−鉄郎は意思を固めることとなる。
また、国鉄分割民営化直前の1986年10月3日、小樽市の北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館)に静態保存されていた3号機が旧手宮線経由で小樽築港機関区に運び込まれ、有火状態への仮復旧が行われた。1987年3月31日から同年4月1日にかけての国鉄分割民営化イベントへの仮復旧状態での参加の後、同年4月より苗穂工場で徹底的な修繕が実施されて動態復元と車籍復帰が実施され、翌1988年から函館本線小樽 - 倶知安間で、快速「C62ニセコ号」として復活運転を開始した。後に運転区間は小樽 - ニセコ間に拡大され、ニセコ駅には専用の転車台(新得機関区に以前あったものを転用)も設置された。しかし本機の運転を行っていた北海道鉄道文化協議会が全般検査費用の資金を確保できず、また走行に必要な費用の確保もままならなくなり、さらに1995年に軸受を焼損する事故まで発生、やむを得ず同年11月3日をもって廃止された。この後に北海道鉄道文化協議会は解散した。現在JR北海道は再び蒸気機関車を復活させている[34]が、小型で汎用性が高く、運用コストの低廉なC11形での運転となっている。3号機は、将来の復活の可能性に備え、JR北海道苗穂工場に保管されることとなり、しばらくの間車籍を保持していたが、車両の状態や、C11形で行われているイベントの状況を鑑み、2000年に除籍され、静態保存に戻った。2009年2月、JR東日本の新たな蒸機動態復元の調査の際、3号機がリストアップされ、一時は同機の復活の光が射したかのように思われたが、JR北海道は同機を譲渡せず、復活機は群馬県伊勢崎市に保存されているC61 20に決定された。他に名古屋市千種区・東山動植物園に日本の蒸気機関車最高速度記録保持機の17号機、大阪市港区・交通科学博物館に26号機が静態保存されている。また、東京駅丸の内側地下コンコース「動輪の広場」には15号機の動輪3組とメインロッド、それにサイドロッドが組み付けられた状態で保存展示されている。